古い一葉の写真

コラム

 

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親せきの法事の席で古い一葉の写真が話題になった。
昭和三十年代後半、東京でオリンピックがあったころに、母の実家で祖父母を囲んで子どもたちと孫たちみんなが集まったときの記念写真である。

いとこがその写真を焼き増しして送ってくれた。
古い写真に写った懐かしい面々を眺めていると、みんなのおしゃべりや喧噪が聞こえてくるようだ。
  

 長兄の伯父だけが写真に写っていないのは、おそらく伯父がカメラマンの役を買って出たからだろう。

母の実家には菊の紋章の付いた「遺族の家」という表札が掲げられていた。
もう一人伯父がいてビルマ(現在のミャンマー)で戦死している。
亡くなったとき、伯父は二十歳だったそうだ。
 

戦後、伯父の戦友が遺品を持ち帰り、実家に届けている。
その戦友は伯父が戦地で敵の銃弾を浴びたことや、しかし苦しまずに亡くなったことなどを祖父母に詳しく話したそうだ。

「父がひとり仏壇の前に座り、兄の遺品を握りしめて涙を流しているのを何度か見たことがある」と母が言っていた。

祖父は九十歳を過ぎてもなおかくしゃくとしていた。
気丈な性格であったと聞いているが、情の深い人でもあったようだ。 
深いしわに刻まれた祖父の顔は、憂いのこもった表情をしている。

写真に写った三十九名のうちすでに十九名が鬼籍にいる。
東京オリンピックがあった年、といってもまだまだみんなが貧しかったころの一葉である。

光陰矢の如しと言うが、伯父がカメラのシャッターを押した瞬間から、またたく間に数十年の歳月が流れたようだ。
さらにおなじ年月が過ぎれば、この写真に写っているみんながいなくなるのだろうか。

寂しいかぎりだが、いつか、次の世代にバトンタッチする日が訪れるのは、われわれがこの世に生まれたときの約束ごとだ。 

写真に写し出された、幼い日の自分とわが一族を眺めていると、あらためて人生や生きることの意味を考えさせられるようだ。

私はこの一葉の写真を額に入れて飾っておこうと思う。

 

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